お世話になっているイラン人の人たち

 毎月末に住んでるシェアハウスの家賃を払うことになっているのですが、それは9月末に払う分まで毎月$500(CAD)とかなり良心的な家賃でした。だからそれくらい何とかしろよというレベルなのですが、決まった日に決まった時間で働けるバイトが9月は無かったので、いかに家賃を払うか、というのが問題になりました。

 日本にいた時に奨学金の返済や国民年金の支払いを止める、という手もあったのですが特に何もせずにこっちに来たため日本の口座にTransfer Wiseで送金をする、ということを時々やっていて、そういうことをしてるとお金が無くなってしまうのです。

 

そんな9月に仕事をくれたのがイラン人のTahsinです。私にはこっちでの人とのつながりがあんまなく、以前書いた花に水やりをするバイトで一緒になったカンちゃんが紹介してくれたのがTahsinでした。水やりのバイトは雨が降ると中止になってしまうことがあったのでそういう時にTahsinのバイト(飲食店の換気扇についた油汚れを高圧洗浄機を用いてピカピカにする仕事)を手伝ったりして何回かお世話になっていました。

Tahsinの仕事の現場
化学薬品を換気扇や壁などの箇所に当てたのちに
ケルヒャーみたいなので汚れを飛ばす

9月はこのTahsinの仕事の手伝いと、Tahsinの知り合いのKiaが引っ越しをするということで引っ越し作業の手伝いをして家賃支払いを乗り切ったのでした。

Kiaの家の引っ越し時にアンティークの品物がいっぱい出てきた
「インターネットで売る」と言っていたが果たして売れたものはあったのか

Kiaがおごってくれたケバブ
お腹いっぱいになる。美味かった

KiaもTahsinもおそらく60歳付近で、どちらもカナダに来て30年以上になるそうです。Kiaの家もTahsinの家もけっこう大きな立派な家なので二人ともけっこう稼ぎがいいと思われます(Kiaは配管工をやっている)。最近、Uber Eatsを始めたので今後、Tahsinのお仕事の手伝いをあまりできるかわかりませんが、辛いところでお世話になったのでまた何かヘルプできるといいなと思います。

 

その引っ越しの時に同じくヘルプで来ていたRezaさんという方も安い家賃の部屋を探しているなら良かったら紹介できるよと言ってくれました。10月末支払いの分から家賃を50ドル上げるよ、とオーナーさんに言われたときにはどうしようか考えたりもしました(結局、家賃$550でも今のところに住み続けることに決めた。それでも安いしダウンタウンがある程度近いとこなのでUberをするには便利)。

 

語学学校で英語の授業を受けた先生や、少しの間オンラインでお世話になったモントリオールのフランス語クラスの先生、今受けているプログラムの同じクラスの方一名なんかもイラン人なので、カナダにはイラン人がけっこういるようです(アメリカもイラン人は多いと聞いた)。先ほどKiaが明日、良かったら仕事を手伝わないかと電話してくれたので行くと返事をしました。何というか人に恵んでもらう能力の高さを実感します。

 

ここ一週間は自転車で始めたUberがけっこう楽しかったので、今度それについて書けたらと思います。

 

10/10は日本も祝日だと思いますがカナダもサンクスギビングデーという祝日です。

Have a good long weekend.

Tell me about yourself?

 新卒で入って約五年勤めることになる会社に入社する前に、ビジネスについて考える内定者向けの簡単な課題のようなものがあったのが思い出される。その課題には別に明確な答えはなくてあなたならこの場合、どう考えますかというような問いに答えるものだったと思うのだけど、とにかくその課題で指定された文字数を埋めるのが大変だったのを覚えてる。

 

 どの会社でも目標設定はあると思うし前職の会社に迷惑をかけることではないと思うので書くと、前職の会社では期の初めに個人の目標を設定する、というのがあった。この目標設定もそれっぽいことを書くのが大変だった。

 

 何でこんなことを書いてるかというとここ数日、面接の練習をしよう、とカレッジのCOOPプログラム担当の方からジョブ・インタビューに向けた準備みたいなやつを受けているからである。実際によく聞かれる質問をその方が聞いて下さるのだけど、例えば今日聞かれた質問に「あなたが京都大学修士)に進学した理由は何ですか?」というのがあった。少し考えて「京都には綺麗なお寺がいっぱいあるからです。」と答えて確かに京都のお寺を見て回りたいというのは進学の理由の一つだったけど、これじゃあ俺はバカみたいじゃないかと思ってしまった(ふざけて答えたのでなく「お寺を見て回りたい、というのが一番の理由だったかな、、」と少し考えて答えた)。

 

 そもそも自分は仕事というものの意義があまりよく分かっていないのではないか。5年会社員をしたけれど「なるたけきちんと働いた方が気持ちがいい」くらいのことしか分かってない。会社での目標についても、目標を設定する方がいい感じでやれる人とそうでない人がいると思うので無理に目標を立てさせられてもなあという感じだった。プライベートに関しては「マダガスカルに行きたい」とか「標高4000メートル級の山に登りたい」とか達成したいことはあるけれど仕事に関して「これを為したい」というのはあんまりない。

もとより「人の役に立ちたい」という気持ちがそんなにない人間なので会社での仕事というものが基本的に人の役に立つものである性質上、会社での目標を立てることに積極的になりようがないのだ。

 

(とりあえずここまで)

JSSさんと私

トロントに来て、ひょんなことからボランティア活動を(たまに)するようになったので今回はそれについてお話します。2週間に一回、1時間半程度の活動です。

 

トロントには日系人、日本人の方々のコミュニティがあります。そういった方々向けにサービスを行っている団体にJSS(ジャパン・ソーシャル・サービス)というのがあります。

 

私がこの団体を知ったきっかけはトロントでの人脈がないことを語学学校のスタッフの方に相談した時に「ボランティア活動をして人間関係を作るというのがおススメです」と紹介されたのが始まりです。

 

JSSが企画している歌の会というトロント(に限らないかも)在住の高齢の方が参加するZoomのイベントがあるのですが、その会で再生するYoutubeの動画のリンクを集める作業を私はしています。

 

「高齢の方は英語という勉強して学んだ言語は少し忘れてしまい、第一言語の日本語でのやりとりを好むようになる」というようなことをJSSのコーディネーターの方が言われていた気がします。トロント在住の方もやはり郷愁の念があるのだと思いますが、日本(や海外のも少し)の童謡を皆で歌うのが歌の会の活動です(私は歌の会で再生する動画を選ぶだけで歌の会に参加したことはありません)。

 

この作業のおかげで今まで多くの童謡・唱歌に触れてきました。”茶摘み”の動画を再生した時に日本の茶畑が思われてぐっと来たのを覚えています。

 

ボランティア活動を始めるにあたってオリエンテーションをして頂いた際にカナダにかつて日本人村のようなものが西海岸の方にあったけれど無くなってしまった、などのカナダでの日系人差別の歴史も教えていただきました。

日系カナダ人の歴史 – NAJC

 

まとまりのない文章になってしまいましたが大きな古時計の動画を探しているときに知った狩野英孝のバージョンを紹介して終わりにします。

https://www.youtube.com/watch?v=5njEPkXbQ5w

 

トロントでの最近

トロントに来てもう8か月が経とうとしています。私としてはトロントモントリオールほど見どころもなく、大麻(こっちの人たちはウィードという)をやっている人が多くて大麻臭く、そんないいところじゃねえなあ、といった街です。

日本にいた時に計画していた「モントリオールでフランス語を学び、トロントで海外で働く経験をする」という計画の通り、ひとまずバイトも経験したのですが住宅地の花壇の花に水をやる、というバイトだったのでそんな英語を使うわけでもありませんでした。韓国人のボスに叱られたりしながらcoworkerの2人と仲良く働いていました。

水やりバイトcoworkerの2人。奥がマケイラで手前がカンちゃん

ちょっと紹介するとマケイラはカナダ人でカンちゃんはパキスタンと日本のハーフ。カンちゃんと他愛もない話をするのが楽しかったです(カンちゃんは日本語、英語、ウルドゥー語が話せる。日本語で話してた)。マケイラは身長が175cmもあります。よくfucking ○○と言っていた気がするけど優しい子でした。

水やりバイトは朝に始まるので家を6時半に出ていた。朝のバス停までの道

水をやっていた住宅地。長いホースの先にスプリンクラーをつけて水を撒く

よく見かける黒くてもっと大きいリスじゃなく、茶色の小さいリスも現場では見かけた

この水やりの仕事は8月いっぱいで終わったので次の仕事を探さなければならないのですが、11月辺りからフルタイムで働けるようになるため、あと2か月弱という中途半端な期間をどう埋めるか、というのが最近の悩みの種です(バイトの契約の期間がもっと長いことが多いので応募しづらく、日雇いみたいな仕事でつなぐしかないかもしれない)。

ただ、Office Administrationに関してのCOOPプログラムに参加している以上、Office Administrationで週20時間は働かなければ週40時間(フルタイム)を仕事で埋めることはできないので、何かそれに繋がる仕事を、と希望的には思っています。そのためのバイトに応募しても返事が来なかったり、と言った感じです。だからもっと沢山応募しなきゃいけないのですが節約生活でお金の減りがゆっくりなので焦りの気持ちが中途半端で良くないですね。

私が今持っているのは週20時間までどんな仕事でもできるWork Permitで、そろそろ使えるようになるのがOffice Administrationに関する仕事を週20時間まで行うことができるCOOPビザです。事前にOffice Administrationの仕事をしていたのならそっちにCOOP期間になった段階でCOOPビザでの仕事として計上し、Work Permitでの20時間はまた別の仕事を入れられる、とのことだったのでもうOffice Administrationの仕事を応募しても問題ありません。

Indeedの画面。Indeedが職探しをする上でメジャーです
eMapleという日本人向けのサイトは飲食店の求人が多い

 

最近知り会ったカナダ人のMikeに「リスニング力向上のために英語の映画を日本語字幕で観た方がいいよ」と言われたので観ようと思います。あと今日、久しぶりに電話をかけた台湾とイギリスの国籍を持つSuhoに「君は冷たい」と言われたので近々Suhoに会えたらいいなと思います。

Suhoと7/23にいったジャズフェス。この時期は午後8時40分でこれくらい明るい

右手前の男性がSuho。そういえばこの時彼はコロナが治りたてだった
日本では考えられないくらいみんなマスクをしていない

最近、ビジネスレターを書く授業があったのでブログの終わりにはSincerelyじゃなくて何を書くか調べたらThat's it for todayという表現なんかが英語の日記を終えるのに良いそうなのでそれで終わります。That's itはTim Hortons(こっちの人はティミーズと言ったりする)とかでも何でもカウンターで注文するときに「以上です」の意味でよく使いますね。

 

That's it for today.

右手と左手について

皆さんは「右利きの人、羨ましいな」と思ったことはありますか?

 

私はあります。

 

世の中の9割くらいの人が右利き、とよく聞きますがそいつらの多くは右利きであることがどれだけのアドバンテージかまるで自覚してないようなので、ムカつくので両利き?の苦悩を書くことにしてみました。

 

右利きであることのアドバンテージというより両利き、あるいは左利きでないことのアドバンテージ、と言った方が正確かもしれません。

 

両利きは目も当てられないぐらい損をする人種、といっていいように思います(私はどっち利き?と聞かれたら右手の方が力があるのを理由に右利きと答えることと、左手の方が器用であるのを理由に左利きと答えることと、正直に右手も左手も使います、と答える3通りの答え方をその時の気持ちで使い分けることにしています。実生活で割合的には右手を使うことが多いですが黒板にチョークで何か書くときや、絵を描くとき、スプーンを使うとき、消しゴムを持つ手、マウスを操作する手、ペットボトルでキャップを回す手などは左手です。6歳くらいまでは左手で字も書いてたし大学三年の時から左手で何となく小テストに解答してみたくなってそうしたら、右手で書くより計算ミスをせず考えながら書ける気がして、実際点も良かったので考え事をするときやアイデアを出すようなときは左手で書くことがあります)。

 

私達両利き(他の人は知らない)は何か物を拾ったり目の前のものを掴んだりするときなど日常の多くのシーンでそれを右手で行うか、左手で行うか一瞬逡巡します。そういうのが塵も積もればのごとく、微妙にストレスになっている気がするので何も考えずに利き手がパッと出る人は本当にストレスフリーだと思います。

 

あと、人は明確な利き手を持っていると考え方にも一貫性が出て人格がしっかりするように思います。右利きの人は論理的、左利きの人は芸術的、なのかはわかりませんが少なくとも右手的自分と左手的自分が「これこれの感想を400字でまとめて下さい」とか言われたときにお互いに足を引っ張り合って、突っ込み合いの泥沼にもがいたりして社会的には一人の人間の感想と扱われるけれども、そいつの中の右手と左手が喧嘩しながら合議をして承認された結論ゆえに八方美人的なパンチの効いてない意見になってしまう、という想像など誰にもされずにパンチの効いてない人とただ思われてしまうのはもう慣れっこです。

私の場合だと左手は器用なため頭がよく自信家で右手は不器用で自信がなく、考えを明晰にするのが苦手、という性格を自分の中に感じます。こういうと明確な利き腕がある人はこいつは馬鹿なんじゃないかと思うかもしれませんが、まあその通り馬鹿ではあるのですが、多少の誇張はあるかもしれないけど割と本当にそういう感覚がちょいちょいあるので、「まあ分からんけどたいへんなのね、分からんけど。」と思ってくれるとありがたいです。

 

箸だけは左手で持つよ、というようなクロスドミナンス(私も正確にはクロスドミナンスというべきなんだろ)の人にたまに会ったりするのでそういう人に一度、その人の中に右手的人格と左手的人格のせめぎ合いみたいなのがあるのか問い詰めてみたい、と思います。

 

おしまい

川にそって

 語学学校が一段落したので今週はフランス語にも英語にもそこまで触れるわけでもなく過ごしています。久しぶりに思い入れのある曲について紹介しようと思います。

 

私はカナダに来るまでは東京の国分寺に住んでいたのですが、国分寺駅の南口に、ほんやら洞という喫茶店があります。そこに入ったことはないのですが、そのオーナーだった中山ラビさんの曲を今回は紹介です(紹介というかただの共有)。

 

アド街ック天国で「おっ、国分寺がやってる」という回があって、その時にほんやら洞が紹介されていて、その時はまだラビさんが存命だったと思うのですが、何となく地元では有名な喫茶店でしたし今も多分そうです。

 

私の伯父は音楽に詳しい人で、中山ラビは俺の憧れだった、と言っていたのでなんかの折にYoutubeで聞いたのが表題の曲です。

 

youtu.be

私は国分寺に5年以上住んでいましたが、小平の玉川上水が近かったり、住みやすくもありと好きな街でした。今日、椎名誠のさらば国分寺書店のオババを読んで、椎名誠は当時の時点で小平に住んでたのだなと思いました。村上春樹もしばらく国分寺で喫茶店をやってたかなんかしていたと思います。

 

この曲は何となく人生の哀愁を感じさせるような、それでも導入のギターが前を向こうとしているようなそんな曲に思います。どことなく国分寺的な曲のような気がして、この曲を聴くと国分寺を思います。伯父ちゃんのおかげで知った名曲です。

中山ラビさんは2021年の7月4日に亡くなられました)

中山ラビ - Wikipedia

語学学校のクラスの皆の紹介

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通っていた語学学校

今回は私が通っていた語学学校UMC Montrealのクラスの皆を紹介します。私が通っていた学校は少人数制クラスの学校です。それぞれが色々なところから来ているおかげで世界の色々なところに思いを馳せることができました。順番に一人ずつ紹介していきます。名前(国籍、出身の都市、年齢)で紹介します。

 

1.Elia(メキシコ、アグアスカリエンテス、27)

まずメキシコ人のElia。自己紹介の時に年齢を聞き間違えたためか、最初ずっと23歳の子だと思ってたのですがその割に落ち着いてて海外の人は落ち着いてるなと思ってたら彼女は27歳でした。メキシコにいたとき、テレビ番組のキャスターのような仕事をしてたらしく、今はこちらのテレビ局で働いているお父さんの手伝いをしていると言っていました。instagramのフォロワーがとても多く、たまにモントリオールを紹介する動画も投稿したりしています。この前、モントリオールの気温が-25℃くらいの時に濡れタオルがすぐ凍る動画を紹介したりしていました。

メキシコは給料が安くて、iphone1台はメキシコの平均的な給料の何か月分にもなる、と言ってたのを覚えています。皆のために焼いたケーキを持ってきたり、気配りのできる優しい子でした。Eliaはこの次のRicardoと同じ日にけっこう前に卒業しました。

 

2.Ricardo(ブラジル、サルバドール、31)

次にブラジル人のRicardoです。彼はホモセクシャルで夫のレオもUMCでフランス語を勉強していました。温かい雰囲気の持ち主で勤勉で、ブラジルにいた頃は彼はフォードモータースで働いていました。分からないことを彼に聞くと分かりやすく教えてくれたのが思い出されます。日本ではまだまだ馴染みの薄いホモセクシャルの人たちですが、こちらに来てからけっこうホモセクシャルの人たちに出会うことがありました。彼らの共通点としてホモセクシャルであることに悩んできたからなのか、皆とても親切で優しく、どちらかといえばけっこう知的な人が多いような気がします。最初、私がpassé composé(複合過去)も分からず諸事情で皆と同じクラスに入ってきたときに「皆に追いつきたい」と私が彼に言ったのを覚えてくれていて、彼が卒業するときに「Shunsuke、君は宣言通り、僕たちに追いついたね。君のことを誇りに思う。」と言ってくれました。私は何だかもごもご返したのですが、やはりRicardoのそういったパワーは自分には中々ないな、と思ったのでした。

彼もNintendo Switchを持っていたので、Immortals Fenyx RisingというUbisoft Quebecが制作のゲームを教えてくれたりしました(他にも彼はブリガデイロというブラジルのお菓子を持ってきてくれました)。

 

3.Fabian(チリ、サンチャゴの近くの海に面した都市、40)

Fabianは大学でphysics(最初、物理と思ってましたが運動学とか体育のこと)を教えているとのことでした。また、ビジネスデザイナーでもあると言っていたと思います。ビジネスデザインという仕事がよくは分からないのですが、よく考えるとFabianは中々偉い人なのかもしれません(それ以上に彼は親しみやすい人です)。彼の趣味は自宅でビールを作ることで、かなり大量のビールを自宅で製造しているようでした。彼はIPA(インディアンペールエール)が好きだと言ってました。日本はラガービールが一般的ですが、多分カナダはエールビールが一般的で、一度飲んでみたら美味しかったです。彼は息子が一人いるお父さんなのですが、息子さんはチリにいて昼休みによく彼とビデオ通話したりしていました。彼は年末年始チリに帰りましたが、12月のカナダは日が短く、寒さもありけっこうキツかったので南半球にいる彼が羨ましく思われました。彼は昔、チリのサッカーの一部リーグでプレーしていたと言っていたのでかなりすごい経歴の持ち主と思います。豪快で気持ちのいい性格の人です。

 

4.Melisa(コロンビア、ボゴタ、27)

Melisaはクラスの中心人物です。彼女はコロンビアでPsychologistとして働いた後にモントリオールに来ました。私より2か月くらい早くモントリオールに来ていて、今はレストランで働きつつ、もうすぐ医療秘書(Medical secretaryと言っていたのを直訳)について学ぶために専門の学校に通う予定です。何というか彼女はその小さな体に人並み以上のエネルギーを宿しているので、急にはしゃいだり、何かしら面白い挙動をするので皆から愛される存在でした。何種類もの色分けをしてノートをきれいにとるので彼女のノートはとても見やすく、自撮りをするのが好きでTiktokに動画を上げたり、授業中にTiktokか何かを見たり、帰るときはタバコを吸いながら歩いたりといった感じの子でした。彼女は猫が好きで、私が少し猫っぽいかは知りませんがマイペースで大人しくしているのを気に入ったのか授業中に度々、「私はShunsukeと結婚する」「Je t'aime」「Mon amour」と言ってくれるのでした。中々、掴みどころのない子でしたが、年若の生徒達と映画を観に行ったときに皆を先導してくれたり、私の理解に思い違いがあるとちゃんと説明してくれたりと基本的にはしっかりしてる女の子です。彼女はarepasというコロンビアの軽食を持ってきてくれました。

 

5.Nina(台湾、台北、56)

Ninaは一人の息子と一緒に暮らしている台湾出身のお母ちゃんです。NinaというのはEnglish Nameでしばしば中国、台湾、韓国の人は本名とは別にこういった愛称のようなものを持っています。私は何も考えずにShunsukeです、と言って通してきましたが今までに「Shunske、Shanski、Shunski、Shunsky、Shansukei、Shunskee、Shansuke」などと綴られてきたので呼んだり書いたりしやすいEnglish Nameを持つのはいいことかもしれません。NinaはMelisaが奇天烈な動きをすると「She's crazy」と中々攻めたことを言ったり、けっこう気が強いお母ちゃんだったと思います。彼女は私のことを「mignon(フランス語でかわいい、の意味の形容詞)」と言ったり、「Je n'aime pas Shunsuke(私はShunsukeが嫌いです)」と言ったり、感情の強さを見せてくれました。皆で食べ物を持ち寄ったときに、Ninaが持ってきてくれた鶏肉のスープはショウガが効いてて、とにかく体が温まったのを思い出します。

 

6.Nilton(ブラジル、サンパウロ、40くらい)

NiltonはElia、Ricardoが学校を去ってから少ししてUMCに入学してきました。彼は年齢の割に小柄なのとやや童顔なのとでか、同じくらいの年のFabianと違って私は彼を少年のように感じていた気がします。先生のLamaraはNiltonが大のお気に入りなのではないか、というくらい彼と話しているときは笑みがこぼれていました。Niltonは奥さんがいて彼女もUMCの別のフランス語クラスに通っていました(奥さんはおじいさん、おばあさん4人のうち2人が日本人と確か言っていて、名字や顔から日系の方だなという人でした)。Niltonはモントリオールに来る前はコスタリカに5年ほどいたそうで、スペイン語も話せるようです。彼が一度、「おやつにKakiを持ってきたよ」と言って「え、Kaki?柿のことか?」と思っていたら本当に柿を取り出したので、こっちでも柿はKakiなんだな(違う言い方もあるかもしれません)と思ったのでした。彼のニカっと笑う笑顔と青果卸売店のSami Fruitsやケベック映画のMonsieur Lazharを紹介してくれる親切心は魅力的でした。

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Montmorency駅近くのSami Fruit

 

7.Ari(ブラジル、サントス、50)

Ariは一番最近、私と同じクラスにやってきた人で会社からフランス語を学ぶように言われてUMCに来た壮年の男性です。彼は笑顔を絶やさない人でキラキラした目が特徴の人でした。彼が時にポルトガル語を話すのを聞くと、ポルトガル語は音としてきれいな言語だな、と彼が話すからそう感じただけかもしれませんが、何となくそう思うのでした(スペイン語は半濁音が多くて親しみやすさを感じさせる言語な気がします。ポルトガル語はそれに比べて濁音が多くてややエレガントな印象です。何となく)。最近は、NiltonとAri、私の3人で授業を受けることが多かったのですが、Ariは社会・政治問題に関心があり、ブラジルでは犯罪者が刑務所を簡単に出所出来たり、政治でもcorrupution(汚職)が多くあると言っていて、話の流れで私が日本の政治についてどう思うかを聞かれたときに全然、意見を言えなかったのを思い出します。政治に対する私の関心・参加意欲の低さを彼が来てから感じさせられたように思います。彼はフランス語の語彙力がそこまであるわけでなくても、シンプルな語彙で分かりやすく意見を構築する能力や説明する能力がとても高い人だったので話しを聞いていて楽しい人でした。日本語で「ありがとう」と言ってくれてありがとう。

 

8.Lamara(アルジェリア、オラン、28)

最後に紹介するのは私がいたフランス語クラスの先生、Lamaraです。彼はアルジェリア出身のため、アラビア語とフランス語が話せるのに加え、スペイン語、英語とあと何か一つの言語合わせて5か国語が話せるとのことでした。スペイン語話者が多い私のクラスでは彼のその能力はとても重宝しました。彼はアルジェリアから家族とともにモントリオールに渡ってきて、もう6年になるそうです。ケベコワの彼女がいてUMCの他にも教えている学校を持ち、公私共に順調な熱心な先生です。モントリオールにはアルジェリアからの移民がけっこういて、アルジェリアイスラム教の国なので、イスラムの服装をしている人の多くはアルジェリアからの移民なのかなと思います。彼はその時教えている文法が歌詞に出てくるchansonを授業で扱ってくれるのでStromaeのPapaoutai、ZazのQué vendra(aにアクサン・テギュがある)、IndochineのJ'ai demandé à la lune、Jacque BrelのNe quittes pas、Claude FrançoisのComme d'habitudeなど(他にもある)有名な曲を紹介してくれました。

彼は知的であることはもちろんですが、何より逞しく堂々とした人でした(それでいて文学も詳しい)。彼が最後の授業で紹介した愛読書のLes fleurs du mal(Baudelaire)、をいつか読めたらいいなと思います。

 

トロントに移る私ですが、何とか隙を見ながらフランス語の学習を継続していきたいものです。やはり、私にはフランス語の方が英語より面白く感じられます(フランス語を勉強することで英語の勉強も面白くなったりします)。フランス語学習のサイトApprendre le françaisでapprendre le françaisを継続していこうと思います。おしまい。

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卒業証書。お世話になったスタッフの方が撮ってくださった
右肩上がりにテストの点を上げた私。DELF B1をとりたいものです