イワンのばか

 ロシアのお話を高校の頃に少し読んでいたこともあり、ちょっと前にトルストイのイワンのばかを借りて読んだ。トルストイはよくロシアの二大文豪としてドストエフスキーと並べられる。ドストエフスキーが「人間ってわけ分からなくて、どうしようもない変態みたいなやついっぱいいるけど、そこが人間の魅力よな」というイメージで、トルストイは「人間がすべき行いとかいいあり方ってこういうことやから、みんなこういう感じでやっていこうな。いややっていけよマジで」というイメージである。そういう意味でイワンのばかには少し危険な香りもしたが、面白かった。以下、読んだ感想。

 

 イワンのばかは難しい話のように思った。この作品を読んでいる間は悪魔の思惑をことごとく挫くイワンが痛快に思われる。ただ、イワンが王となった国で頭を使った生き方を演説して最後は死んだ悪魔の親方を不憫に思われるところがないわけでもないのである。あくまで悪魔の親方が”頭を使った働き方”に人々を誘惑して怠惰にしてやろうと邪な計らいをした報いであると捉えるならそれでいいのかもしれない。ただ、ばかの国の人たちは「手や背中を使って農作業などをするのではなく、頭という部位を物理的に使ってどうやって働くのだろう」と思っていたように読み取れる。いわゆる頭を使う仕事(現代で言ったらコンサルタントとか)に価値を感じられていないようであった。ばかの国の人たちは欲もなく悪魔の誘惑にも乗らないような人たちだけれども、だからといってその国の仕組みが理想的である、という訳でもないだろう。

 金貨に対して冷めた見方をするばかの国の人たちにとって金貨はただのおもちゃと変わらない。現実の世界にある紙幣や貨幣を見たときにそれをおはじきや何かとは同じに見られない私たちはもうすでに悪魔にやられていると思う。それ自体は悪いことではないと思いつつ、自分で食べ物を作って生きていけるばかの国の人たちからは余裕を感じることができる。お金に頼らなくとも生きていける人々の強者感からもまた、気づきを得た気にさせられるお話だった。