右手と左手について

皆さんは「右利きの人、羨ましいな」と思ったことはありますか?

 

私はあります。

 

世の中の9割くらいの人が右利き、とよく聞きますがそいつらの多くは右利きであることがどれだけのアドバンテージかまるで自覚してないようなので、ムカつくので両利き?の苦悩を書くことにしてみました。

 

右利きであることのアドバンテージというより両利き、あるいは左利きでないことのアドバンテージ、と言った方が正確かもしれません。

 

両利きは目も当てられないぐらい損をする人種、といっていいように思います(私はどっち利き?と聞かれたら右手の方が力があるのを理由に右利きと答えることと、左手の方が器用であるのを理由に左利きと答えることと、正直に右手も左手も使います、と答える3通りの答え方をその時の気持ちで使い分けることにしています。実生活で割合的には右手を使うことが多いですが黒板にチョークで何か書くときや、絵を描くとき、スプーンを使うとき、消しゴムを持つ手、マウスを操作する手、ペットボトルでキャップを回す手などは左手です。6歳くらいまでは左手で字も書いてたし大学三年の時から左手で何となく小テストに解答してみたくなってそうしたら、右手で書くより計算ミスをせず考えながら書ける気がして、実際点も良かったので考え事をするときやアイデアを出すようなときは左手で書くことがあります)。

 

私達両利き(他の人は知らない)は何か物を拾ったり目の前のものを掴んだりするときなど日常の多くのシーンでそれを右手で行うか、左手で行うか一瞬逡巡します。そういうのが塵も積もればのごとく、微妙にストレスになっている気がするので何も考えずに利き手がパッと出る人は本当にストレスフリーだと思います。

 

あと、人は明確な利き手を持っていると考え方にも一貫性が出て人格がしっかりするように思います。右利きの人は論理的、左利きの人は芸術的、なのかはわかりませんが少なくとも右手的自分と左手的自分が「これこれの感想を400字でまとめて下さい」とか言われたときにお互いに足を引っ張り合って、突っ込み合いの泥沼にもがいたりして社会的には一人の人間の感想と扱われるけれども、そいつの中の右手と左手が喧嘩しながら合議をして承認された結論ゆえに八方美人的なパンチの効いてない意見になってしまう、という想像など誰にもされずにパンチの効いてない人とただ思われてしまうのはもう慣れっこです。

私の場合だと左手は器用なため頭がよく自信家で右手は不器用で自信がなく、考えを明晰にするのが苦手、という性格を自分の中に感じます。こういうと明確な利き腕がある人はこいつは馬鹿なんじゃないかと思うかもしれませんが、まあその通り馬鹿ではあるのですが、多少の誇張はあるかもしれないけど割と本当にそういう感覚がちょいちょいあるので、「まあ分からんけどたいへんなのね、分からんけど。」と思ってくれるとありがたいです。

 

箸だけは左手で持つよ、というようなクロスドミナンス(私も正確にはクロスドミナンスというべきなんだろ)の人にたまに会ったりするのでそういう人に一度、その人の中に右手的人格と左手的人格のせめぎ合いみたいなのがあるのか問い詰めてみたい、と思います。

 

おしまい