2024年2月のノートから

 日本に戻ってきてから何となくその日にあったことや勉強したことなどをノートに書くようになった。最近、めっきりブログを更新しなくなったがブログに限らず絵も描かなくなったり、写真もあまり撮らなくなったり、何かクリエイティブなことをすることがだいぶ減ってしまった。それは自分としてはあまり良いことではないと思うのでノートにあることから何か書く、という形でブログを久々に書いてみようと思う。3月や4月にしなかったのは3月や4月のことはとっておけば近々更新するときの材料になるかなと思ったからである。

バイトを始めた

仙台中心部のフランス語を教えたりフランス文化を発信したりする機関でバイトをし始めた。ちょうど2月の頭からである。いい年してバイトもないだろう、と思う人も多いかもしれないがそのうちに関東に移る、と考えているので短期だが働けるところ、と考えていたらここになった。フランスに興味があるかと言われるとカナダに行く前に抱いていたフランスへの興味はいつの間にかアメリカへの憧れに心の中で取って替えられたように思う。また、自分にとっての仏語圏はフランスよりもモントリオールのイメージになってしまっていた。そんな感じではあったがフランス人講師の方とぼちぼちやり取りをしながら仕事を覚え始めていくのであった。

Syberiaをちょこちょこやった

ゲーム関連の仕事をしたい、そう思うことが多く、かつ、海外の人と仕事をしたい、という思いを抱いている人間なので海外のゲームでストーリー性があるものをやろうと思い、Syberiaというゲームをやり始めた。何というか昔からゲームのストアなどで見かけていた気になっていたゲームということで、フランス語で無理してプレイしていたようである。キャラクターの移動時にマウスをカチカチすることで走って移動させることが可能なのだがそれに気づくまでは女主人公を歩いて移動させていたので「ずいぶん移動がゆっくりで、人によってはこのスピードイライラするだろうな」と思うなどしたのであった。話はしっかりしていてドラマを見ているような気になるのでもう少し触る頻度を上げたい。

向陽台に喫茶店ができた

バレンタインデー過ぎ頃に向陽台に喫茶店マーチというのがオープンした。山の寺の坂を下らずして喫茶店に行くことが可能になった。これはとてもありがたいことである。子供の頃から私と苦楽を共にした山の寺の坂を下ったり上ったりせずにお茶を飲んで家に帰って来れるということだ。こんなありがたいことをしてくれた人たちのことは大事にしなければ、人として問題がある。喫茶店に行くとコーヒーか紅茶しか飲まないのだが、ちょっとした作業をしたり本を読んだりするのに適している。2月より後のことではあるが一度置いてある本を貸してくれたりもした。いつかケーキやプリンを注文するような太客になりたいものだがそれまで長く続いてくれたらと思う。

わずかに数学を勉強した

私の脳が比較的活発(それでも人に比べたらたぶん穏やか)になる時として、ゲームをしている時、山に登っている時、本を読んでいる時などがあるがそれに加えて一応、数学専攻だったということもあり、数学をしている時、というのもある。2月のノートを見るとちょっとだけマイルス・リードの可換環論をやっていたようである。数学の本(特に代数の本)は、少しずつ心が現実を離れて数学的な世界に没入していくことを促すものが多い気がするけれども、この本はいわゆる人としての自然な想像力を失わせないようなそれでいて面白い本なので暇なときにまた読めたらいいと思う。

 

これらのこと以外にも東北本線岩切駅から塩釜の杉村淳美術館に行ったりしていた。家からだと山の寺の坂ではなく、松陵の坂を下りて免許センターのところを左に曲がってずっと真っ直ぐ行く岩切駅への道が左右が田んぼで広々と見渡せて気持ちいいと思ったのが思い出されたりする。

イワンのばか

 ロシアのお話を高校の頃に少し読んでいたこともあり、ちょっと前にトルストイのイワンのばかを借りて読んだ。トルストイはよくロシアの二大文豪としてドストエフスキーと並べられる。ドストエフスキーが「人間ってわけ分からなくて、どうしようもない変態みたいなやついっぱいいるけど、そこが人間の魅力よな」というイメージで、トルストイは「人間がすべき行いとかいいあり方ってこういうことやから、みんなこういう感じでやっていこうな。いややっていけよマジで」というイメージである。そういう意味でイワンのばかには少し危険な香りもしたが、面白かった。以下、読んだ感想。

 

 イワンのばかは難しい話のように思った。この作品を読んでいる間は悪魔の思惑をことごとく挫くイワンが痛快に思われる。ただ、イワンが王となった国で頭を使った生き方を演説して最後は死んだ悪魔の親方を不憫に思われるところがないわけでもないのである。あくまで悪魔の親方が”頭を使った働き方”に人々を誘惑して怠惰にしてやろうと邪な計らいをした報いであると捉えるならそれでいいのかもしれない。ただ、ばかの国の人たちは「手や背中を使って農作業などをするのではなく、頭という部位を物理的に使ってどうやって働くのだろう」と思っていたように読み取れる。いわゆる頭を使う仕事(現代で言ったらコンサルタントとか)に価値を感じられていないようであった。ばかの国の人たちは欲もなく悪魔の誘惑にも乗らないような人たちだけれども、だからといってその国の仕組みが理想的である、という訳でもないだろう。

 金貨に対して冷めた見方をするばかの国の人たちにとって金貨はただのおもちゃと変わらない。現実の世界にある紙幣や貨幣を見たときにそれをおはじきや何かとは同じに見られない私たちはもうすでに悪魔にやられていると思う。それ自体は悪いことではないと思いつつ、自分で食べ物を作って生きていけるばかの国の人たちからは余裕を感じることができる。お金に頼らなくとも生きていける人々の強者感からもまた、気づきを得た気にさせられるお話だった。

イワンのばか

 イワンのばか、は難しい話のように思った。この作品を読んでいる間は悪魔の思惑をことごとく挫くイワンが痛快に感じる。ただ、イワンが王となった国で頭を使った生き方を演説して最後は死んだ悪魔の親方を不憫に思えなくもないのである。あくまで悪魔の親方が”頭を使った働き方”に人々を誘惑して怠惰にしてやろうと邪な計らいをした報いである、と捉えるならそれでいいのかもしれない。ただ、ばかの国の人たちは「手や背中を使って農作業などをするのではなく、頭という部位を物理的に使ってどうやって働くのだろう」と思っていたようである。いわゆる頭を使う仕事(現代で言ったら例えばコンサルタントとか)に価値を認めていないようであった。ばかの国の人たちは欲もなく悪魔の誘惑にも乗らないような人たちだけれども、だからといってその人たちの国の仕組みが理想的である、という訳でもないだろう。

 金貨に対して冷めた見方をするばかの国の人たちにとって金貨はただのおもちゃと変わらない。現実の世界にある紙幣や貨幣を見たときにそれをおはじきや何かとは同じに見られない私たちはもうすでに悪魔にやられていると思う。それ自体は悪いことではないと思いつつ、自分で食べ物を作って生きていけるばかの国の人たちの余裕から、お金に頼らずに生きていく人の強者感にも気づかせられるお話だった。

雨上がりのメデジン

 カナダにいた際にコロンビアの人たちから、とても親切にしてもらった。コロンビアに関する本を読めばコロンビアのことが知れるだろうと思った。そう思って仙台市泉図書館2階の外国の本の棚を探した。スペインの本のあたりにスペイン語圏の本がまとまってあり、この本がコロンビアを舞台にしているということで借りることにした。

雨上がりのメデジン

 メデジンというのは人口二百万人以上のボゴダに次ぐコロンビア第二の都市だそうだ。主人公の男の子はカミーロという。カミーロのお父さんは飲んだくれで金がなくとも酒を持って家に帰ってくることをカミーロに要求したりする。アンドレスという親友がカミーロにはおり、彼はどんなときでもカミーロを一人にはしない。山の斜面の町に住む二人とその家族を通してコロンビアの社会問題が垣間見える物語。

 

 この本を通して触れたコロンビア関連のワードや出来事:

サント・ドミンゴサビオというバリオの地区、バリオ、アグアルディエンテ(お酒)、地下鉄のアセベド駅、メトロカブレというロープウェー、パタコン(熟していないバナナを油で揚げたもの)、スペイン公園図書館、コロンビアが五十年近く苦しんできたコロンビアの政府・反政府ゲリラの対立による武力抗争。

 

 親友である二人がどちらからともなくかけっこを始めたり、かけっこの勝敗が決まった後の敗者の勝者の認め方があったり、言葉を交わさなくとも通じ合える二人の様子がリアルに描かれていた。二人とも父親にいやな思いをしているが、それぞれのやり方で自分の境遇と戦っているようだった。最後カミーロがワーってなるところが良かった。

 

 山の斜面にある町を上り下りしている描写が多くある。実際の町の様子について以下のブログが多くの画像とともに紹介してくれていた。

メデジンのロープウェイ「メトロカブレ」から眺めるスラムの風景【コロンビア】

 

 パタコンは会話の中で一瞬出ただけだけど作ってみたいと思った。日本で甘くないバナナを手に入れるのは難しいから甘いバナナでいいから揚げてみたい。

 

この本のAmazonのリンク

https://amzn.asia/d/5To4t7O

サマーキャンプ(Sol Camps)が終わった

Sol Campsが終わった。終わって少し経ってしまったのでうまく振り返れるか自信が無いけれど先延ばしにしていくと、どんど振り返りづらさが増していって貴重な経験の記憶が失われていく気がするので書いておこうと思う。

自分が泊まったSorbara寮の最初の部屋。しばらくして、別の部屋に移る。8週間、住居費を浮かすことができた

カフェテリアやオフィス、生徒が集まるクープと呼ばれているところが入っているBrenann Hall

そのクープというところ。生徒の集合場所になったりアクティビティが行われたりする

今思えば夢みたいな経験だった。人とあまり関わるのが得意でない自分が毎日、"Hi, ○○"とスタッフの仲間に声をかけたり"明日でキャンプは最終日なんだ。今までありがとう。"と食堂のおばちゃんに一声挨拶をしたり。

ビュッフェ形式の食堂。スタッフは食事付なので8週間、毎食分の食費を節約することができた

何だか分からないけどこのキャンプをできる限りいいものにしよう、という思いで疲れてるときはその思いよりも疲れが先に立ったりしながらも、生徒やスタッフ・先生・引率の方の名前をできるだけ覚えようとしたり、生徒たちが空港に向けて旅立つときは特に何するわけでなくても送迎のバスに向かって手を振りに行ったり、割と自分なりに頑張れたな、という経験ができた。

キャンパス内でのアクティビティの例(アクティビティの内容は色々でEaton Centerというモールに行ったりToronto Islandに行ったり週末はNiagaraに行ったりCanada's Wonderlandに行ったりする)

Brazilのグループリーダー(生徒たちの引率)の方がくれた

MexicoのグループリーダーLaloがくれたMexicoのお菓子(他にもいっぱいくれた)。

とても色んなことがあったのでぱっと思い出せることだけ書いていこうと思う。

 

まず、Holmes Education Groupの人たちについて。自分もSol Campsの行われていた期間はHolmes Education Groupの一つの枝であるSol Campsの従業員として働いていたのでいわば同僚の人たちである。私のボスのNick、メキシコから来たAle、Joel(あと従業員ではないけどブラジルから来たボランティアスタッフのFlavioなど)はもう本当にビックリするぐらいハードに働いていた。

後列左からVictor,Ramie, Ale, Nick。前列左からLinda (Lynda? Victorの彼女さん), Joel, 私。Prideの日の写真。JoelのFacebookからこっそりもらってきた

Aleは「Shunsukeはよくやってる」と言ってくれたけど彼女は生徒に全体連絡をしたり、注意をしたり、アクティビティについていったりそういうこともしながらAgentとやり取りをして、営業的な動きもしたりしていたので「この人は凄い働くな」という感じだった。「私は少し太っている」「このキャンプで少しずつ太ってきている」などと口にしていたが気にするほどのことではなかった。みんな、彼女に軽口をたたくことができるフレンドリーな彼女だが、同時にみんな彼女に一目置いていたように思う。Aleは私を見かけると"Shunsuke!"と呼びかけてくれる。

Pride(Torontoのお祭り)の時に撮った写真。この時持っているお酒で酔って、後述するPizza Pizzaのカウンターへの財布の置き忘れが発生してしまった。

Joelはまんまるとした体と柔和な性格をした人で、Ale同様、皆から好かれていた。あまり詳しいことは喋らないように彼から言われているので詳しいことは喋らないが彼は数年前に会社を設立して、その会社を経営している。社長さんだというのに彼は全く偉そうにしないというか、何となく彼がいると和んだ気持ちになるので私はよく彼のそばにいた気がする。Niagaraのモールで靴を一緒に買えてよかった。二人の力を合わせて2足目が安くなる割引を受けられた。

キャンプ最終日に撮ったJoelと私

Joelに何か日本のものを食べてほしい、と思いPAT(日本の食品も多くある韓国系のスーパー)で買ったどん兵衛。Joelが薦めてくれたModeloというメキシコのビールをその内飲んでみたいと思う

イタリアから来た生徒、Lorenzoに体をくすぐられているとき、彼は輝きを放つようにリアクションをする。

 

それとVictorとNickについて。キャンプが始まる前までは僕はカナダにいながらも黒人の人とあまり関わったことがなかった。今思えば、VictorがOHCに来てオフィスで作業し始めたばかりの頃は「黒人の人ってよく分からない」という感じだったが、色々と私に対して彼は親身に接してくれるので、私の中での黒人の人に対する壁のようなものがなくなった気がする。

Victorは音楽活動もしていた。Sol Camps期間中に彼が出演するコンサートがあった。
彼はラッパーであり、Youtubeで彼の楽曲を視聴できる

Victorは何人もいるアクティビティのスタッフに指示を出したり生徒の名前を覚えてコミュニケーションを取ったり、大変だと思った。彼が"if you can hear me, clap two times!" などと生徒たちの注目を集めるために言っていたフレーズを我々スタッフはみんな思い出すことができる。

 

そして、何といっても一番お世話になった全体責任者のNick。生徒が何か問題を起こしたり、体調を悪くしたりしたときにマネージャーとしてどういう判断、動きをすべきか、スタッフが効率的に動くためにはどのように指示を出したらよいか、周りの人たちに声を掛けて信頼関係をどうやって作るか、など様々な点でこれほど理想的なリーダーというのはそういないのでは、というくらい彼は素晴らしいリーダーだった。彼が私をそんな大したことはないけれどな色々な点で頼ってくれたのは私にとって誇らしいことであったように思う。

キャンプが忙しさのピークを迎えていた時、彼は毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしていたので、倒れたり、自転車に乗っているときに事故を起こさなないか心配だった。

体調の悪い生徒をクリニックに連れて行った時の診察を待つNick

彼が私を「ShunsukeはSol Campsに必要な"ex factor"だ」と言ってくれてVictorも私に対して"ex factor"とよく呼びかけてくれたのが嬉しかった。

NickとVictorは小学生の頃にカンボジアバングラデシュかで同じ学校で知り合っている。カナダで二人は再会して一緒に音楽活動をしたり、元々はVictorがSol CampsにNickを誘ってその後NickがOHCで働くようになったり、二人の間には特別な縁があるように思われる。

最初の2週間は生徒が3人しかいなかった。その時はその時で楽しかった。イタリアから来たLorenzoとメキシコから来たPaola

スタッフのメンバーについて書いて、けっこう長くなったので以下にキャンプで起きた印象的だったことを書いて終わりにする。

 

上の写真の女の子、Paolaの部屋に小さな鳥が入ってきて、Victorから電話がかかってきて「今、キャンパスにいるのはShunsukeだけだから何とかしてくれないか」と言われて彼女の部屋にいって本当に鳥がいたので捕まえて逃がしたこと。

Prideというトロントのお祭りの時にお酒を飲んだら酔って具合が悪くなってしまい、ボーっとして水を買ったPizza Pizzaに財布を置き忘れて、Joel、Ale、スタッフのCatalinaが財布探しに親身に協力してくれたこと。

キャンプ全体にFlu(かコロナ)が流行って皆がゲホゲホしていた時にAleもゲホゲホしてて明らかに体調が悪く見えたので「ウイルスを拡散しないでほしい、オフィスに来ないでほしい」といって、気の強い彼女をその日の翌日の午前中だけではあるが休んでもらうことに成功したこと(Aleは働きすぎてた)。

日本人の子でWhatsAppを使うことができずLINEで対応するようにしたら、Fluが流行っていたこともあり、とても辛そうにしている連絡を受けてどうしたらよいか悩んだこと。

問題行動を起こしてNickと私が作業していた小さなオフィスで時間を過ごすように言われていた男の子に、せっかくのキャンプでスマホも没収されアクティビティも参加できないのは少しかわいそうかなと思ってlaptopを持ってきてNetflixを英語で見るようにさせたり、一緒にご飯を食べるようになったりして、その子と仲良くなったこと。

Campを去る前日の、名残惜しそうにするブラジルから来た生徒さんたち。手前にめちゃくちゃ働いていたブラジル人スタッフのFlavioの背中が見える。彼は本当に優秀だった

キャンプ最終日前日にスタッフで集まった時の写真

色んな事があって、どれもがいい思い出になったキャンプだった。本当にcrazyな体験に混ぜてもらえて運が良かったし、様々な国の人たちと、仕事を通じて心を通い合わせることができたと思う(カナダ、ウガンダ南アフリカリベリア、インド、ベトナム、フィリピン、インドネシア、メキシコ、チリ、ブラジル、韓国、日本、ウズベキスタン、ジャマイカなどスタッフ、先生の国籍は様々だった)。

 

私は日本に帰るが、英語の拙い私を英語環境で使ってくれたNickのように、日本で海外から来てる人に仕事する機会を与えられるような人間になれたら素晴らしいことだし、そこまでいかなくとも何か海外から来た人の手助けができたらいい。

最終日、オフィスを片付けて解散する前に撮った写真。前列Aleの左はスタッフのLyn。右からJoelの隣はOHCで授業を受けたGreg。その左はSol Campsの先生方のまとめ役をしていたNoshir

Sol Campsで出会ったみんな、ありがとう。その機会をくれたNickには感謝の気持ちしかない。この写真に写っているスタッフのLynは手首につけるアクセサリーをくれた。そのアクセサリーやSol Campsのスタッフ用シャツを大事にして、この貴重な体験を忘れないようにしたいと思う。本当に素晴らしい経験だった。おわり。

 

↓Sol Campsに興味がある方はこちら。ホームページ、SNS

solcamps.com

linktr.ee

懐かしい日本の歌を歌う会 ~総集編~

おつかれさまです。カナダに滞在する期間も残り短くなってきました、今井です。

JSSさんという、主に高齢の方や障害を持った方向けにソーシャルサービスを提供する団体の方から依頼されていた、オンラインイベントで流すYoutube動画の選定作業がつい最近、そのイベントが対面になったことでなくなりました。

そのためもう、JSSさんから作業を依頼されることはなくなったのですが、この作業を通じて多くの唱歌や童謡に触れられたので、今回はその会で歌いたいとリクエストされた回数が多かった曲をランキング形式で紹介しようと思います。

私が担当した歌の会で計209曲が流されました
(上の画像では芭蕉布という曲が抜けています)
第2位(2回リクエストされた曲)

2回リクエストされた曲は以下の20曲です。

朧月夜 https://www.youtube.com/watch?v=yZFUTzBG1MY

虫の声 https://www.youtube.com/watch?v=Tl8_FAWUgCE

村祭り https://www.youtube.com/watch?v=v8CnSBxMtWE

紅葉 https://www.youtube.com/watch?v=byiwbpejk5M&t=4s

冬景色 https://www.youtube.com/watch?v=kiIf5WfMY-A

夕焼小焼 https://www.youtube.com/watch?v=gmEFARIhcZg

星かげさやかに https://www.youtube.com/watch?v=vGkxlcFEXYY

スキー https://www.youtube.com/watch?v=KNWI19yTOPg

美しき天然 https://www.youtube.com/watch?v=fH452_GePEY

埴生の宿 https://www.youtube.com/watch?v=EIojz4g6Mjs

追憶 https://www.youtube.com/watch?v=jkzwQE-EoRs

シェナンドー https://www.youtube.com/watch?v=K7lmb4KltsU

冬の夜 https://www.youtube.com/watch?v=07AMCmv4XFA

故郷を離るる歌 https://www.youtube.com/watch?v=5kk6w5KLiBs

星の界(よ)https://www.youtube.com/watch?v=sQqmZvD3RUQ

花のまち https://www.youtube.com/watch?v=Hxb9QekHDPI

花嫁 https://www.youtube.com/watch?v=4MJvVgoqktI

よろこびの歌 https://www.youtube.com/watch?v=p-vIvCj8Fcw

遠き山に日は落ちて https://www.youtube.com/watch?v=cFDCtkmwaSw

いつでも夢を https://www.youtube.com/watch?v=0jknQa9Ipws

この中だと個人的に冬景色、シェナンドー、星の界などをいい曲だなと思った気がします。上のリンクのシェナンドーはハモりが美しいと思います。冬景色に関してはメロディーが有名なので聞き覚えがあるかと思います。

第1位(3回リクエストされた曲)

3回リクエストされた曲は以下の4曲です。

母さんの歌 https://www.youtube.com/watch?v=mUFcgZdNLU8

荒城の月 https://www.youtube.com/watch?v=y3hzdx1HhO4

山小屋のともしび https://www.youtube.com/watch?v=yuvie5HzAYk

手のひらを太陽に https://www.youtube.com/watch?v=IXs9rKBo6Dc

荒城の月は人気があるようでした。滝廉太郎の曲だと他にも花がリクエストされていました。

 

作業を振り返ると、ソプラノ歌手の方の動画を選んでしまうと高齢の方が歌いづらいということでソプラノ歌手の鮫島有美子さんの動画は選ばないようにという要望を頂いたり、送って頂くpdfの歌詞通りの動画をなるべく探すようにしたりと(訳詞が複数ある歌や日本の歌でも歌詞が複数あったりする)、少しだけ気を使う点もあった作業でした。

 

1回のリクエストでしたが印象に残っている曲を以下に載せて終わりにします。下のアビニョンの橋の上で、は何となく好きなのでよろしければお聴きください。フニクリフニクラは(ヴェスヴィアス)火山に向かう電車の歌だと知りました。

 

登山電車(フニクリフニクラ)(歌の会用のとは違う伊語版のもの)

https://www.youtube.com/watch?v=PG4SbelgIFk

 

アビニョンの橋の上で(歌の会用のとは違う仏語版のもの)

https://www.youtube.com/watch?v=dB1wf__RoXc

Les Champs-Élysées(歌の会用のとは違う仏語版のもの)

https://www.youtube.com/watch?v=rK_v4iNQFV8

COOPプログラムが終わりました。

 日本の皆さん、カナダ、トロント在住の今井です。先週でCOOPプログラムという海外での就労体験プログラムが終わったので、プログラム期間で何となく心に残っていることを書いていこうと思います(COOPプログラムがどんなものか興味のある方は次のようなサイトが参考になるかと思います。コープ(Co-op)留学とは?メリット・デメリット、かかる費用まで徹底解説!【2023年最新】 | カナダ留学コンパス)。Let's get started.

 自分はパキスタンのことを全然知らない。

COOPプログラムの座学期間の先生がパキスタン人の方だったのですが、イムラン・カーンについてプレゼンする、という課題が与えられて自分は全くイムラン・カーンを知らない、イムラン・カーンはおろかパキスタンのことを全然知らない、と思いました。イムラン・カーンはパキスタンの元首相です。

イムラン・カーン - Wikipedia

この時感じたのですがカタカナで「イムラン・カーン」とGoogle検索するよりも英語で"Imran Khan"と検索した方がより多くの情報が得られました。「日本語で理解してプレゼン資料だけ英語で作ればいいじゃん」という戦法が通用しない場合との出会いでした。

 韓国のことも全然知らない。

"BTS Army"というのが未だに何なのかよく分かってないのですが、実習と並行して受けている英語のクラスでよく耳にします。また、ハングル文字はそんなに時間をかけずに覚えられる(1時間くらい?)ことや、かなり辛いですがBuldakの麺が美味しいことも知りました。

何となくラス1のまま残しているBuldakのチーズ味のやつ。かなり辛いけど韓国のインスタント麺は美味しいです。牛乳を一緒に飲むと辛さが軽減するそうな。
 自分と他の人との違い

 現在、私はPCでの裏方業務に徹しているのですが最初の頃は受付にいました。その頃、やることがないと「何かやることはないか」と別の部屋にいるスタッフの方に仕事をねだりに行ってました(その結果、PC作業を振られるようになった)。身だしなみを整えることが苦手、人にあまり話しかけられないなどの受付にかなり不向きな性質を持った私ですが、この「ねだる力」は他の人に負けてなかったかもなと思います。

おかげで無給の期間は先週で終わったのですがPC作業で力になれるということで、今週からは有給でしばらくの間、働かせて頂くことになりました。

 上司の方に恵まれた

 私に現在、作業を振ってくれているのはManagerのNickという方です(モントリオール時代のステイ先のホストファザーももちろん別の人ですがNickでした)。現在、私が有給で引き続き働けるのは彼が更に彼の上の方に私の働きをアピールしてくれたおかげです。

彼は両親がタイ人であり、アジアンな顔立ちをしているため、カナダ国籍ではありますが、直接の上司になる前から親近感を感じていました。作業のやり取りで彼とメールしたり会話をすることが一番多いですが、いつも明るく私を励ましてくれます。器の大きい人との出会いは私が求めているものなので彼との出会いは幸運でした。

Nickが奢ってくれたタイ料理のレストランSi Lom

彼が私の作業中にトルティーヤ、タコスを差し入れてくれた。
語学学校内の小さなカフェから買ってきてくれた

 COOPの総括のようなものも書けるといいのですが、時間が無いのでここまでにします。読んでいただき、ありがとうございます。